岩上、黒木両氏の緊急対談をお勧めする理由

岩上さん、黒木さん、二人のジャーナリストによる緊急対談を是非御覧いただきたい。

テーマとなった事件はあまりにも複雑で分かりにくく、一見政治的要素が薄く思えるので、地味に見えますが実は非常に重大な事件です。
ご案内の動画は長く、音声も不安定なため若干工夫を要しますが、ぜひ最後までお聞きいただきたい。
せっかくの生情報ですのでご自身で判断していただきたく、あえて要約はしませんが
これは二つの意味で、誰にとっても他人事ではありません。


1つは、身近な警察が正義や真実を曲げてまで保身に走り、その結果一人もしくは二人、あるいはそのご家族も含めれば多くの方の人生が葬られてしまった可能性があるということです。
地検特捜部のように特定の地位がある人物が対象ではなく、
すぐ身近で直接権力を行使できる警察組織の行いです、
無実や正直が通用せず銃刀法違反のような明確な犯罪を放置している可能性があるという事です。
刑事ドラマの相棒に出てくる、警察組織を守る本部長のような人物と組織の存在が、実例として語られているのかもしれません。


いま1つは、ミスを恐れるあまり虚偽やごまかしで重大な過ちを人が選択してしまう
心理的環境を日本人の多くが抱えていること、それはひとりひとりの問題だということです。
まっとうな社会人ならばミスが起きるのはどうしても避けられない事、
ミスをしてしまったときは先ずはそれを自身が受け止めて認めてしまうこと
次にそのミスのリカバリと以後の対策を明確にすることが最善だと言う事を知っています。
それでもなお、ミスが判明した瞬間は、何とか目立たないように埋め合わせられないか、隠せないかと考えてしまう事が多いと思います。
裏返せば、過剰にミスに恐怖感を覚える心理的環境があるということです。
物事をわかりやすく善悪で二分してしまう、子供を成績という単一の基準で評価してしまう、メディアが悪徳政治家とラベル付すればそのまま自分の評価だと思い込んでしまう、真偽不明の情報を自己判断なしに再頒布してしまう
これらは他人事ではないはずです。
こうした社会心理学的傾向「おそれ」が、過剰にミスそれ自体を非難してしまい誤魔化しや2次的過ちを再生産してしまいます。


社会問題に一人の心情をとりたてて語るのは無意味でしょうか
この対談はどなたかが黒木さんをツイッターに誘い、黒木さんがずっと取り組んできたテーマを語り始めたところから始まりました
以前からツイッターで活躍しておられる岩上さんが、即日黒木さんにコンタクトを取り二日後には対談が実現しました。
その一滴が、ドクンと拍動のように広がったのを感じました
ツイッターを中心にして多くの方がその問題を共有しました
この拍動はまだ拡がることでしょう。
私達は自身で選択して自身で判断できる、編集の無い情報に触れられる機会をいただいています
そして、一部の乱反射を除いて、多くの人はそれを素直に受け取り判断して響きを再生産出来る手段も得ています。
一人の自立した判断と思いが価値を持ちつつあります。


この対談の第二部では寺澤さんが参加して記者クラブ問題を寺澤さんが熱く語っておられます
こんなに活動している方々がいらっしゃるのかと感服しました。
中井国家公安委員長を徹底批判する寺澤さんに
それでも録音や写真撮影を認めたことは客観的に一歩と評価する岩上さん
私も中井委員長は好まないタイプの人で、その意味では寺澤に近いのですが
「中井さんをゴシップで引きずり下ろして、より実力のある人を責任者に据えた方が手っ取り早い」
と、半ば本気で半ばノリで言ってしまってはちょっとどうかと思いました。
それでは東京地検特捜部や太鼓持新聞やワイドショーテレビと同じになってしまう。
寺澤さんのノリに、辛そうに沈黙を守る黒木さんと
あくまで冷静かつ客観的に、真っ直ぐ事実を伝えようとする岩上さん。
お二人のまっすぐな眼差しがカッコいい
とあえて言っておきたいのです。


最後は寺澤さんが聞き出した岩上さんの近況
ご両親はさぞや無念だったろうとお察ししますが
逃げずにがっしりと受け止め耐え切った岩上さんによって
それはきっと昇華したことでしょう。
ここでもまた「命の美らさ」を目の当たりにさせていただいた思いです
みなさん、どうもありがとうございます。

ツイッターは日本人に次の一歩を進めさせたのかもしれない

 なぜかツイッターでは、あれだけ議論されてきたインターネットの匿名性を捨て、実名で活動する人が増えています。 そして、一番ネットに慎重であろう政治家をはじめ芸能人やジャーナリストも次々と参入してきて、多くの場合いわゆる普通の人と普通に会話を交わしています。 つまり人々はコンピュータの上で生身で行動し始めたのです。

 もともと日本人は欧米と比べて個人情報にナーバスでした。 なかばインターネットの代表のように言われてきた2ちゃんねるは、匿名が原動力となって自由な発言(ときに行き過ぎたりデマが横行したりしましたが)が活発に交わされて、匿名であることのメリットが語られてきました。 日本人は個人で行動するのが苦手で…云々と比較的悪く言われてきましたが、古来「言上げせぬ国」とも言うように、善行もあえて名乗らないような美意識も根底にあったんだと思われます。

 2ちゃんねるからの発信が映画になったり、携帯電話で書き込まれた小説が出版されたりして、ネット発の文化が少しずつ実生活に現れ始めたころにツイッターは紹介されました。 実を言えばツイッターが紹介され始めたころ、僕はこのサービスの可能性を過小評価してしまいました。 そのころすでに携帯電話サイトではミニブログサービスが始まっており、学生は日に何十通ものメールをやり取りし、ブログで有名になった中川祥子氏のブログは自身の日常を短いエントリーで頻発していて、ツイッターもその延長線上に思えたのです。

 ツイッターは「今何をしている」と問いかけます。 ポストできる文字数は140文字で一目で意味が伝わる長さです。 基本的に自身で選んだ人のポストがひとつのページにすべて時系列で表示されます、特定の人に向けたポストも相手の名前付で同列に表示されます(プライベートなメール的な機能もありますが) 言い換えれば自分が関心を持った人達の「今」が一目で伝わる形で示したのです。 これに加えて、初期からAPIと呼ばれる仕組みで、パソコンで見る既存の画面にとらわれず、携帯電話でも利用しやすくなりました、文字でのポストに付随して他サイトのアドレスや写真を、最近では動画なども参照できます。 

 そんな中、アメリカのオバマ大統領がまだ候補者のうちにツイッターを使って支持者を増やしていると報道されました、それに続いて各種団体もこのサービスを利用し始めました。 その現実的な利用例はツイッター自体の信頼度を増していきました。 同時にユーザーが自然発生的に取り決めたルールで、お互いのポストを紹介したり第三者にも見える形で会話を交わしたりしました。 つまり2ちゃんねるに有ったような集合知が比較的信頼される、言葉どうりにソーシャルな場所で展開されるようになったのです。

 また、これらのポストはほっておくとどんどんと過去のポストに埋没していきます。 しかしながら共感を得たポストはユーザー相互の引用に載って次々と再発見されていくので、価値があると思われたポストは発信者の名前とともに広がりやすい構造を持っています。

 インターネットが実生活でなじみはじめ、伝わりやすくて比較的信頼できるプラットフォームができ、そこでは個人の発信が評価されやすいし、著名人や企業などの団体は架空ではない名前で活動している。 こうした環境で日本のユーザーも自然に実名か、もしくはインターネットでの名前でもそれを大切にした活動を次々と始めました。 企業によっては全社員にツイッター利用を求めたり、求職者にツイッターの利用を問うたりしているところがあるようです。

 実名やそれに準じる固有の名前で活動を始めると、一人の人間としての発信が求められます。 そうした状態で無責任な発言や責任が持てないほど攻撃的な内容を発信すると、相手にされなかったりその場で否定されたり、時には現実的な危険さえ派生します。
匿名や団体での行動を好む日本人は、ここで個人として自立を求められるようになるのです。
いまのところあまり目立ちませんがこれは大きな一歩です。

今僕は民主党小沢幹事長の秘書3人が起訴された問題に注目しています。 ツイッターには実力があって主要メディアにも露出があるジャーナリストがたくさんいらっしゃって、惜しげもなくこの件を含めて情報を提供してくれています。 新聞やテレビが報道しない情報、それも情報通が知っていれば良いような内容ではなく本来ならば公平に報道されなければならないような、本来なら誰もが知るべき内容がツイッターをはじめインターネットの中だけで語られています。 そうした情報を目にして冷静に考えると、大手メディアが報道する内容や世論調査はあまりにもゆがんで見えてしまいます。

 個人として自立して考えて行動できる環境がここにあります。 実名でなくてもいいのです、インターネットにも居場所を定めて責任をもてる名前で、できるだけ多くの人がこの一歩を踏み出してくださることを願っています。

本気で移転します

ちょっと本気でメインブログを変更します。

どうぞよろしくお願いします。

ちょっとだけはてなに苦言を
・しばしばコメントスパムが入っていたのでコメントを承認制にしていましたが
いつの間にか解除されていました。
・かなり長期間有料オプションを利用してきましたが、オプションにグレードが増えて今までのままで使える機能が減りました、実質値上げですよね。こうしたやり方はなんか嫌です。
・明らかにはてなは方針が変わっていますよね?

はてなについて

長らくメインブログとして利用してきましたが、本格的に利用を再検討しております。

2009-01-27 - はてなダイアリー日記
この件、恥ずかしながら今日まで知りませんでした
2009-01-27 - sauberwind’s Side:Pos
こちらの記事で知りました、思うところは似ています。
はてなは

  • 人力検索はてながメイン→相互扶助
  • ポイントを投げ銭のようにやり取りできるシステム→感謝の交換がシステムでできる
  • 運営会議にもユーザーを入れている

などが好きでした。
その感謝の気持ちから、Diaryで有料オプションを使ってきました。
しかしながら、Haikuやうごメモはてななどの登場からなんとなく違和感を覚えていました。
そして、はてなダイアリーの携帯版への広告挿入
基本的にパケット従量の携帯電話には閲覧者のことを考えるなら広告は表示したくありません。私は有料オプションを利用してアドセンス設定もしていますので、この広告収益は私に入るとのことですが、だとするとなおさら携帯電話へは表示させたくないのです。
事業収益の関係かと思います、これまでの試行錯誤で何度も落胆する結果があったのかもしれません。
しかしながら、ドネーションがかなり浸透しつつありtwitter2ちゃんねるで年齢層が高いユーザーが増えつつあります、言い古されてしまっていますがWeb2.0を牽引してきたはてなに時代が追いつきつつあるといえるかと思います、新しい収益モデルも可能なのではないでしょうか。
そうしたことを踏まえて、個人的にはてなには初心を忘れないでいてほしいのです。
Webサービスが自身に会わなくなったら、黙って退会ボタンをクリック
そういう選択もあるかと思いますが 何も語らず消えてしまうには、はてなは僕にとって思い入れのあるサービスなのです。

政治の力も逆流を始めた

「自民党からの出馬要請がありました。私としても提案提言、要望といいますかね、そういったものをいくつか。私が次期総裁候補として次の選挙を自民党さんはお戦いになる覚悟があるか、というのをお伺いしました」(宮崎県・東国原英夫知事)
東国原知事によると、古賀選挙対策委員長は反応をとめたそうだ。
asahi.com(朝日新聞社):自民の総選挙出馬要請に、東国原知事「総裁候補なら」 - 政治

東国原知事が少しでも色気を出したなら、それはもうがっかりだと思っていたが、何のことはない古賀氏はたぶん宮崎へ向かったところから負けていた、選挙が得意な政治屋さんは国政と人を侮っていたのだ。
東国原知事が国政を真剣に考えて打ち返したボールは、自民党と政治屋の固まった頭では「ジョーク」「奇策」としか理解できずに投げ返すことができなかったのだろう、あるいは時間を置いて後にはそれを知ったのかもしれない。

地方は永く国に「陳情」しお願いする立場に居た、しかし地方の行政を国が支える それが本来の形であるはずで、地方は国に必要なサポートを「要請」するべきだった。それが国政への不振と政治を政治として考える地方首長の登場とその主張を支える人気とがそろって力が逆転を始めたように見える。

少し前の出来事だがJR東日本が水利権を取り消された事件があった
asahi.com(朝日新聞社):JR東日本の水利権取り消しへ 信濃川不正取水問題 - 社会
国鉄ダムの公共性という理由から川はせき止められ、信濃川発電所のすぐ下流は川猟師がいて大量に遡上する鮭が取れる豊かな川であった場所が、水のない石ころだらけの川原となっていた。そのためにこの地域の人たちはJR東日本に取水量をせめて控えてもらえるよう何度も「陳情」していたのだが、実際にはJR東日本は水利権以上の水を取水していたのだ。
ところが不正取水が発覚して取水権が取り消された、地域の人々は本来の川を取り戻した。その後JR東日本は地元に取水を「お願い」する立場に逆転したのだ。

日本はこの時代、やっと「お上」から開放されつつある
間違ってはいけない、仕組みを政治屋に任せて権利を要求するだけではこれまでと何も変わらないのだ。一人ひとりが考え、行動する先にそれはある。そのための情報を手に入れる手段はすでにある、ありがたいことに必要な豊かさも偏ってはいるが日本にはある、この先必要なのは変化を恐れない勇気であろう。

追記:シャキッと書いてくれている記事を見つけたので追記

女々しいぞ、松浪健四郎!: [間歇日記]世界Aの始末書
鼻で笑った笹川某についても突っ込んでもらえるとうれしかったりします
ヒエラルキーに必死で食い込んだ人たちは変化が怖いのでこうした反応で威嚇するしかないのです。

再度追記:いやぁメディアが盛り上げていますね、そこに乗っかってなんとなく国政に行くぞというニュアンスになりつつあります、橋元さんも援護射撃を始めているようです。
支持政党表明へ新グループ 大阪知事、横浜市長ら首長数十人


政治を監視するもの

西松裁判 検察冒頭陳述に強い違和感
郷原信郎(元検事・名城大学教授)インタビュー@ビデオニュース・ドットコム


19日に西松建設前社長の初公判がありました、一般的にこの件への関心はかなり薄れてきているようですが。
最初に上げたリンクはここでの検察側の冒頭陳述について郷原信郎氏が意見を述べています、
郷原氏については今更書く必要がないかもしれませんが検事として十分な経歴をお持ちの方です。

このインタビューでの最初の部分は各方面でもかなり話題になっていますが、後半部分で造船疑獄と今回とで検察のベクトルがまったく異なっていることを説明している。かつて政治権力が検察に働きかけて問題となった造船疑獄は政権側を追求する検察に対して止める方向で働きかけたのに対して、今回の検察は現政権と対峙している野党に対して権力を行使している。
いや、正確に言うならば、現在の行政を動かしているのは政治家ではなく硬直化した行政システムとその中心に居る官僚たちだ、その硬直化したシステム:現体制を壊すかもしれない政治勢力を検察が狙い撃ちした形なのだ。硬直化したシステムはどんどんひび割れてエネルギーが漏れていく、どんどんと傾いていってエネルギーが偏るようになっていく。本来はそれを再生するための選挙であるはずだし、それを監視するための三権分立のはずなのだ。
たとえば、検察が何らかの意図を持って権限を行使することを許すならば、戦前と同じになる
この問題は小沢氏が良いとか悪いとかの問題ではないのだ。

郷原氏の言っていることの核心はそこにあるし
だからこそ私は郷原氏の身の安全まで気になってしまうのだ。

ちなみに、このインタビューの前半で元検事の郷原氏の目から見ても

  • この公判は国沢幹雄前社長の外為法違反がメインにも関わらず冒頭陳述では大部分が政治資金規正法について語られている。
  • 国沢被告の裁判なので大久保被告には反論できない場所なのにも関わらず、冒頭陳述の多くは大久保被告と小沢氏の影響を一方的に決め付けている。
  • 通常の冒頭陳述と比べても異常なほどイメージ中心の内容となっていて、新聞・テレビでの扱いを意識しているとしか思えない。
などと述べています。
そして、裁判員制度が始まったいま、こうした印象操作は問題があると言っています。
こうした手法が成功してしまったなら、あなたが人を裁く立場になったとき、あるいは何らかの拍子に罪を問われてしまったとき、印象操作のようなことがなされる危険性もあるということです。



はてなは比較的知的なサービスでした

早稲田発ビジネス系SNSGREEがいつの間にやら携帯ゲームサイトになったがっかり感には及びませんが、うごめもはてなにはかなり引きました。
人力検索から始まってキーワードリンクで集合知を集めるイメージのはてなは、なにか面白いツールの寄せ集めになりました。「面白いツール」は開発を楽しんでみてるのかなと思っていましたが。
さて、はてなブックマークのこと。
僕の中でソーシャルブックマーク


  1. 増え続ける参照サイトのブックマーク先

  2. 人にも知ってほしいWebトレンドをさらす場所

  3. 人のクリップを参照してWebトレンドを知る場所


という位置づけです。そのため自分にとっては公開非公開の個別切り替えは不可欠で、はてなブックマークを検討したときすでにメインで使うことをあきらめました。
ですので、メインではDeliciousを使い集合知としてははてぶを使うという使い分けを行っていて、すでに大量のデータがDeliciousにありFirefoxのアドオンもDeliciousのものを使い込んでいます。その一方で、基本的にすべて公開のはてなは、比較的影響力もあり集合知としてはよい存在でした、若干身勝手ではありますが。
もちろん変化を恐れるものではありません、信頼できるサービスならば労力を惜しまず柔軟に利用させていただきます、でも無駄になってしまうことはしたくないのです。
いまのはてなは信頼してお付き合いする気にはどうしてもなりません。
企業・サービスのビジョンは重要です、Twitterはだからこそ利用が拡大し続けているのでしょう。
さて、「はてな」は「集合知を集める」から「面白ツール群」へと方針転換をしたということでよいのでしょうか。