ことば〜こころ

僕はネット上のどんな場所でも攻撃的な内容を書くべきではないと考えている。
相手が見えない世界なので本人をよく知っていても信じられない書き込みを目にしてしまうことが往々にしてある、しかし顔が見えないからこそそういった内容は書くべきではないと思う。
インターネットではほとんどの人が「いいひと」です、では攻撃的な内容を書かないためにはそれを演じる必要があるのか、否といいたい。
相手が見えにくい世界、加えて記事をアップするに自身の任意に任されている世界であれば自分の心根を見直すチャンスはあるはずだと思うのです。そんな怒りを内に持ってしまう自分を見つめる時間はあるはずです。
視点が一方的になっていないか、傲りがあるのではないか、と。
多くの人は思考を言葉で行っていると思います。各国の言語構造は思考構造に強く依存しています。そして日本語は深い文化によって微妙なニュアンスを誰もが感覚的に持っています。
(匂いと香りについての続き)
言葉を選ぶのではなく心を選んでいきたい
と考えるのです。
この記事へのコメント(投稿順)

未月
言葉を選ぶのではなく、心を選ぶ。
激しく共感です。
ウケるために毒舌トークを繰り出す必要はない。
必要以上に自分を大きく見せる必要もなし。
ありのままでいいのだと思います。
言葉を選ぶという作業は、自分を見つめなおす作業
でもありますよね。
そして、そういう言葉に強く惹かれます。
(2004/10/25 19:36) [返信]

tosiki
共感をどうもありがとう。
僕もそう考えます、時に豪快な語り口にあこがれもしますが。
そして、言葉は受け止める方に響いて初めて意味をなす物だと思います。
響いてくださってありがとう
(2004/10/25 21:02)

未月
自分とは人格の異なった語り口への憧れ。
私もあります。
書こうと思えば、書けるとも思います。
でも、それは誰かにウケるために書いたものであって、
自分のために書いたものじゃありません。
仕事以外の文章は、自分のために、自分を納得させる
ために書きたいなぁ〜と切に思います。
tosikiさんと、言葉で響き合えることが幸せです(^-^)。
(2004/10/26 00:14) [返信]

tosiki
おお、未月さんは物書きさんなんですね。今更気づきました。
なんだか釈迦に説法のようでお恥ずかしい。
そうそう何かを作品として書くには作った人格が必要なんだろうなぁと思いつつ
コメントを拝見していたら「仕事以外には」との記述が目にとまりあらためてホームを拝見しました。
また機会がありましたらよろしくお願いします。
(2004/10/26 13:21)

未月
いえいえ、決して物書きとはいえません(;-_-;) 。
カキモノマシーンのように、機械的にズボズボ書いている
だけですから。
確固たる「書きたいもの」を目指し、日々勉強です。
(2004/10/26 16:01)

れっこ
>言葉を選ぶのではなく、心を選んでいきたい

いい言葉ですね。
わたしも同感です。
言葉は、時に人を傷つける刃になることを忘れてはいけないですね。
特に、当事者以外が見ていると分かる場での発言は気をつけなくてはだめですね。

人を傷つけもするけれど、励ましもするのが言葉。
遣い方を間違えてはいけませんね。

ふと思ったので、以前書いたログを思い出したので、トラックバックさせて頂こうと思います(^^)
(2004/10/30 18:34) [返信]

tosiki
トラックバックとコメントをありがとうございます。
僕もその物語をぼんやりと記憶していますが、やはり正確に覚えていません。その後出展は見つかったのでしょうか。
実際に、ウチのおばあちゃんの苛立ちは言葉となって家族の食卓をかなり汚しています、もう九十近い年なのでその毒は僕たちが飲み下してあげるしかないと考えていますが。
ただ某宗教団体が一般の方にも読むことを進めている新聞の中で争っている宗教団体の権力者を坊主とよんで悪口雑言を流しているのを目にしてしまうと、こめかみが痛くなってきます。
などといいつつ毒の言葉を書いてしまってますが。
(2004/10/31 01:45)