SNSについての考察

以前に書いたことと重複しそうですがあらためてまとめておきたいと思いました。
SNSの目的は現実の人間関係をインターネットというツールを利用して発展させようというところに有ったようです、実際エコーでもそういった公式な表明がなされていますし、GREEでも歴史の中でそう述べています。そのためのコミュニケーションツールとして掲示板のようなものがあり日記形式のものがありグループやその他の仕組みがあります。そして現実の人間関係を担保するためにリアルでの個人情報の登録や招待による登録があります。コミュニケーションツールは他のインターネットコミュニティでも普通にあるものですが、現実の人間関係を担保する仕組みがSNSたらしめているものでしょう。しかし、友達とよぶ人間関係は非常に曖昧です、もっといえば友達ではなくても頼まれたら招待は可能ですし実際にそういったことは普通に行われているようです。一方個人情報の登録も料金決済がない場合はほとんど確認がないため偽情報も可能です。エコーでは実名で登録することになっているけど、正直僕自身も実名にするか悩みました。実際はてなでは無作為抽出で150だけはがきによる確認という方針をいったん出したのだけどそれに対して不振・不満が続出している。
SNSの根幹部分の保証は無料ベースでは難しいのです。個人認証を別のビジネスとして機能させない限り収支が難しいでしょう。
以上のように考えてくるとSNSという名前で根拠の危うい安心感を与えるというのは危険であるしその括り自体に対して懐疑的に成らざるを得ないと思うのです。
ただし、ゆびとまはまさに実名でないとその意義さえなくなるのでその意味では確かにSNSですね。ただゆびとまの方にはなんの関心もないけどエコーでは好き勝手にやりたいという人も居る可能性がある事を考えるとそこには実が無くなりますが。
結局のところ本人確認が出来ないSNSは本当の意味でのSNSに成り得ないのではないか。
だいたい現実の人間関係云々はオープンになってしまった時点で目的が違ってくるであろうし、実際の所僕の中では人とつながる仕組みが豊富で全くのオープンコミュニティよりは若干安心な出会い系(この言葉には違和感があるが)に近い印象を持っています。その若干安心なって所も時間がたち様々なユーザーが入ってくれば徐々に崩れていくのは予想できます。
それに前にも書いたけれど、非常にアナログで本人さえもつかみきれない人と人の関係をデジタルに三段階ほどで括ってしまうのは限界がありますよ。
もっといってしまえば、ユーザーはそういった割り切りが必要なわけで、コストをかけずに使わせていただく場所にそんなに多大な期待をしてはいけないかもしれない。これだけ豊富な機能を使わせていただいて、これだけフランクにコメントを寄せ合う気風がある場所を、僕たちユーザー自身が守っていく(勿論自分も守りつつ)育てていく位の気持ちが必要なのではないかと思います。