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紛争と日本文化

NHK教育テレビ土曜フォーラム「テロと戦争をなくすために」を見た。
出演者の詳細はNHKのサイトを参照していただくとして、大まかな内容を紹介すると
東京大学大学院の国際関係学教授の進行によって画家の平山郁夫氏がバーミアン大仏の問題に代表される中東との文化交流を紹介、続いてイスラエル ヘブライ大学日本史?日本文化学教授によりテロの終焉を待つ事も必要なのではと提言、パレスチナ アルコドゥス大学学長により人間関係を考える場合アトミズムと連続性という二種類の観点があり個を大切にするアトミズム的発想では紛争解決ができないとの意見、アメリカの政治学学部長はアメリカの中東政策を批判しつつも経済的?文化的?人権的不平等を正す事が必要とといた。
その後進行によって日本が、日本文化が平和の為に何ができるのかと問われヘブライ大学の日本文化学教授によりエルサレムに於いてイスラエル、パレスチナ双方による日本文化の紹介施設の設立を提案されアルコドゥス大学学長と握手を交わした。
なぜ日本文化の紹介なのか、以前拙ブログでも紹介したリービ秀夫氏も仰っていたように日本は宗教戦争を経験した事のないまれな国である事、異文化を争うことなく受け入れてきた歴史がある事を上げていた。

さて、この件について誰にも求められているわけではないけれど勝手に思う事をまとめておきたい。
アルコドゥス大学学長が紹介していたようにキリスト教徒にいわせるとユダヤ教を発展させたものがキリスト教であると言い、イスラム教徒にいわせるとそのキリスト教を踏まえてムハンマドが興したのがイスラム教であり、ムハンマドがユダヤの預言者を高く評価しているようにイスラム教徒もユダヤの予言者を評価しているという。日本人が「宗教は人を幸せにする為にあるのに宗教観で争うのはなぜか」と問うと彼らは一様に驚くのだという。彼らにとっての信仰は神を冠にして預言者を聖典を唯一として帰依している。それでは日本人はそうした信条を持たないのか。仏教徒と名乗るのなら仏陀に、経に帰依しているはずなのだがそれも何処か違う。仏典で儒教でキリスト教で何らかの文言に纏め補強はしているものの日本人の根底にあるのは共通の道徳観、道とも言える宗教とは若干立ち位置が違う何かがあるのだと思える。彼らが何かを感じ求めているのはその部分ではないのかと思うのだ。
それにしてもキリスト教圏の人々は頑迷だ。人権を侵害され経済的に困窮している人々を救わなければテロは無くならないと盛んに説くのだ。それはあたかも医師が病名を付けあなたは病気なのだから治療しなければならないと押しかけているように見える。確かに抜き差しならない状況の社会もあるのかもしれないが、資本主義的観点からは貧しくとも豊かに笑って生き死んでいく社会もあるはずだ。イラクもパレスチナ問題も確かに手を加えて何とかしなければならない問題だが、それは利己的に手を加えてしまった結果の尻ぬぐいにも見える。
自然農法の大家によると、ミカンの木ははさみを入れずに奔放に育てるなら肥料も農薬も必要とせずに立派なミカンができるのだそうだ。ところが人が収穫や管理の利便を考えてはさみを入れ肥料を投入し育てたミカンは最後まで面倒を見ないと立派に実らないのだという、その人は子育ても同じだと言っていたが、ことイラクに関していえば社会問題にも似た事が言えるのかもしれない。
ついでに思い出したので書き足すと、先日カンブリア宮殿というテレビ番組に総務大臣が出ていたけれど、政治家はみんな自分の主張:言葉ばかりで人の話をあまり聞かないと言っていた、いわゆるアメリカ流の大人社会だ。
語らず行う、言揚げしない国:日本がこれから戻ってくる事を切に願う。