エンタテイメントはテレビの宿命か?

いまさらながらネットとテレビの情報価値を考えさせてもらった出来事があったので追体験いただければと思い記事にする。
5月15日付の下記の話題
X51.ORG : タクシー運転手がコンピューター専門家と間違われて生放送に出演 → 何となく音楽ダウンロードの未来を語る
が昨晩(06/05/17)あたりからテレビニュースにも取り上げられ今日はワイドショーにもなった。
以前から情報の信用度は情報流通にかかるコストに比例すると言われていたが本当に比例するのか疑問である。
話題が緊急性がないことやテレビ局という立場から関係各所からの了承取り付けなども必要なのかもしれないが、8日の話題がこの時期にニュースで取り上げられると言うのはインターネットの情報がテレビのニュースソースになっているであろうことも推測できる。
また、ニュース枠ではBBCがインタビューのさい人を間違えたまま放送してしまったと言うことのみを伝えていたが、ワイドショーになるとこの間違われた人が違った肩書きで紹介された瞬間の表情(笑える瞬間映像)を三度も流し三つの偶然と称して話題を引っ張り、最後にはBBCがこの人は間違いでしたと再度概人物を出演させたことを持って「人気者になってしまった」と無責任にコメントをつける。
上記記事においてはその人物が「データ・クレンジングを専門とするBBCの技術職志望」であり「”データ・クレンジングについて何もインタビューされなかったことに多少腹を立てていた”とのこと。」とむすび、笑いの肝がネットらしいが根拠については慎重だ。
ワイドショーとはそんなものとはいいながらホリエモン騒動では多くのテレビ局でそれについての反省をしていたと記憶しているが。

Googleは一貫して情報流通に人の手を介在させないことをポリシーとしている。それに関しては一部で非人間的(長尾のブログ2.0: Webの間違った進化)との意見も多くあるが、情報を求める立場からするとどちらが有益な情報源なのだろうか。
限られた時間枠に収めるために情報の選別から人の手を介するテレビのようなソースと必要なら確実に検索抽出できる膨大な情報流通との比較において。