闇に隠れる一線

昔バーテンダーをしている時のお客さんに投資顧問会社に勤めている方がいました。そこの社長さんがカリスマ的な方で社長の命令ならば社長の靴でビールを飲む等という話を聞いた事がある。仕事に関わる犯罪の場合、現場のある一人が一線を越える瞬間があるのだろうと思う。
先日友人の紹介でWebページ制作のお話をいただいてお客様にお目にかかったが、その方が経営しているお店の事だろうとの予想に反して「ネットワークビジネス」という言葉が出てきた。その言葉に即反応できないタイムラグがあるうちに話が進んでしまいその場でお断りする事ができなかった。ネットワークビジネスのようなグレーな問題をここで比較に出すのは若干危険かもしれないが話を聞けば聞くほど僕には協力できないと言う気持ちになった。ありがたいことに僕は個人でやっていて誰に遠慮することなく仕事を選ぶ事ができる、帰宅して早々に丁重にお断りをした。
若干の噂はあったようだが秋田の事件は少々ショッキングな人物が逮捕された。この人が犯罪にうつる一線を越える時心の中には一体何があったんだろう、そして自分はそして身近にいる人々はその一線を越える事があり得ないと言えるのだろうか。

大戦中の日本軍の悪名にどうしても釈然としない物があった、ところがここへ来て中国のプロパガンダに使われている写真のほとんどは撮影日につじつまが合わない上に強引なキャプションが付けられた物だったりプロパガンダ用に撮影されたりした物である事が証明されていた。それについて台湾出身の著名人が日本人の精神性から言って南京大虐殺が行われたなどと考えられないとコメントしているのを聞いて今でもそう胸を張っていられるのかとささやかな不安を覚えたりもした。
心の闇があふれる時、暴力が当たり前のようになってしまった時、それでもやはり心の揺らぎのその瞬間に一線を越える事を選ばずにいられるのだろうか。