価値が原理に成る

少々ショッキングなのに何か話題にしにくい報道がありました。
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思えばソビエト連邦の力が弱まりベルリンの壁が崩壊、冷戦時代が終わったことを歓迎するムードの一方でアメリカの戦力を危惧する声があった。
その後のアメリカによる紛争介入、世界の警察などといい正義を口にする、その事にも何とも言えない不安感があった。
そしてここに来てこうしたアメリカのやり方、勘違いにまつわる証言が複数出始めた。
911に対する報復、アルカイダとの関連、大量破壊兵器の保有を理由に他国に対して軍事攻撃をし他国政府を排除してしまった。
そうした事実にも国際社会は歯止めを持たない。
全くアメリカという国は…そういうことなのだろうか。
政府は自国の国民の利益を守る義務がある、アメリカ政府は正しい…そういうことなのだろうか。
問題はその「利益」の部分なのではないか私はそう考える。
価値基準が何なのか。

資本主義において利益団体としての会社経営者は出資者の利益を守る義務がある。それに反すると背任という罪にさえ成る。
国際経済の自由化を唱えるアメリカ中心の資本主義国や規制緩和や自由競争を進める日本の現政権の根拠としている経済原理は今もアダムスミスの見えざる手とダーウインの進化論に依っている、そしてその根底には今のところまだ主流の貨幣経済至上主義だ。
ここから先へ進にはそれらの価値基準が次へ進むしかない。
個人の価値基準が次へ進むならば社会のそして国の、世界の価値基準もいずれ先に進むはずである。

追記:ここにもまたその方向性の一つがある。
simoom's nest:ビジネスがオープンソースから学べること