蟲師

蟲師 其ノ壱 [DVD]
アニメ「蟲師」をみた。
蟲とは主人公の説明によると…
ダーウィン式の系統樹の付け根、動物や植物の祖先をなおもずっとさかのぼったあたり
>ストーリーでは系統樹を手のひらでたとえ「手首で一つとなりそこをさかのぼった心臓のあたり」と表現していた<
そうした生物でも物でもない生命そのもののような存在…それを蟲とよぶ、と。
その蟲による奇妙なエピソードを時代設定があいまいな過去の日本を舞台に落ち着いた色調とタッチ、静かな音楽とともに一話完結で語られる。
それはおとぎ話に似ているが「蟲」という不条理を前提として自然の摂理をある種論理的に語っている。
真夜中にテレビ放映されていたときから強く魅力を感じながらも何か受け入れがたいものを感じていた。
繰り返しになるようだがアニメ作品としても完成度が高く、おとぎ話としてのストーリーもとても魅力的だ。
にもかかわらず何か受け入れがたいのだ。
たとえば…
昨今問題になっているノロウイルスは、保菌者から排泄される吐しゃ物や汚物に含まれたウイルスは乾燥に強く清掃後も微粉となって飛散し感染していることがわかってきた。それらのニュースを見ていても「蟲師」に登場する蟲を連想してしまう。そんな風に奇妙な迷信となって心に残ってしまうのだ。
余談だが、子供のころハムをかじりながらトイレから出てきた子分(小学校低学年のころのことなので…)をとがめるにその是非の理由を考察したことが思い出される。汚物の匂いが漂っているところに食品を持ち込む、においの元が何かはわからなかったが何がしかのものが汚物から鼻にまで届いていることは確かなはず、と。その推論はノロウイルスにおいてた正しかったと一方で思い返したりしたのだ。
話は戻るがこの「蟲師」は原作者の漆原友紀氏が創作した「原理」が、ストーリーの良さ 自然さから心にすっと入ってきてしまう、あたかもサブリミナル効果を持つように。
特に目に見えない世界は微妙なのだ、人の魂や世界のありようが一般的に移り変わりつつある今だからこそこれはフィクションなのだと心に言い聞かせながら見ないならこの作品はある意味危険なものとあるだろう、出来が良いからこそ。
これは受け入れがたい、そう感じたのはそうした理由なのだ。