ネットの匿名性

僕自身をふくめて人はインターネットが普及し始めた頃に言われた「情報革命」の意味をどれだけ理解できているのだろうか。
当たり前のことだがコンピュータは情報を扱うための道具だ、それがごく普通に扱われるようになったことで 散逸しあまり価値を生み出さなかった情報の断片は効率的に収集され統合され利用できるようになる。かつてはそれほど問題とならなかった個人情報の断片も収集されることで意味を成すようになってしまったからこそ保護する必要がでてくるのだ。
インターネットが広まり始め 多くの人がなにがしかのトラブルを目にし実際に巻き込まれして 「ネチケット」なる不気味な言葉が唯一の基準だった頃、インターネットに参加するには匿名が基本であるといわれ それと背中合わせで嘘や虚像もまた当たり前のことといわた、時には文学で言うレトリックに近い物だったりしていた。
しかし、繰り返すようだがコンピュータは情報を扱うための道具だ、嘘もまた集積して力を持ち その一方で吟味され暴かれる。
シンプルな道具ほど応用が利くが使う人によってハタラキが変わる物だ、ナイフが山では万能に働き時に人を救うのに町では持っているだけで銃刀法違反の対象となってしまうのににている。
また繰り返すがコンピュータは情報を扱うための道具だ、そして人にとっての情報とは知的・心理的活動のために生かされる。
そうしてコンピュータという道具をあつかうようになっていよいよ、人は知性と精神性の技量を問われているのかもしれない。

ここでは「インターネットだから嘘やごまかしは当たり前」というのをやめることを提案したい
だからといって嘘やごまかしを全否定するつもりは毛頭無い、ましてや人の嘘を糾弾することを良しともしない。
ただ当たり前のこととしない、嘘というノイズは自身において可能な限り排除したい

一つには情報にとって嘘やごまかしは情報郡全体の価値を下げてしまう。
ここで確認したいのだが「嘘」と「間違い」は大きく違う。
「嘘」には真実を隠す意図があるが「間違い」にはそれが無く、情報の処理(議論など)で正していく可能性を持っているし時には弁証法的な発展の可能性さえ持っている。

もう一つにはコンピュータという道具が人の知性と精神性を問うのならむしろそれと向き合うべきではないのかと考えるからだ。
ちょっと適切ではないかもしれないが最近目にしたCMを例にして説明してみたい。
ソフトバンクモバイルのCMで部活後の女生徒と思われる数人の会話がでてくるシーンをご存じだろうか、せりふまわりが不快なのだが同様な印象を持っている人が結構居るようだ。
(参考:ソフトバンクのあのCMには、明らかな不快感の鍵がある - 月がでたでた月がでた
内容は上記エントリに詳しいので省かせていただくがここでは心理的な側面を見てみたい。
このtomo-moon氏が書いておられるように「いいよ。キミちゃんが悪いんじゃないんだし」には確かに欺瞞が感じられる。
いわゆる嘘も方便の部類だけれども以前から主張しているようにこうした自分に向けた小さな嘘、本人さえも気づかないごまかしは非常に危険で積もっていくと自分を騙しごまかす習慣になっていく。集団内部での恐喝や暴力を「いじめ」と呼び窃盗を万引きと呼んでごまかすのにも通じる物がある。
この1シーンをテレビという情報を大量に扱うメディアで流しそれを見た多くの人がインターネットを通じて欺瞞について検証する。
このCMにGOを出したソフトバンクモバイルという会社の品性:精神性は情報を扱う道具によって検討されることになるのだ。

さてここで若干の補足が必要になってくる。
僕が「インターネットだから嘘やごまかしは当たり前」というのをやめることを提案したいと言う時、それは上記の二つの目的に乗っ取ってのことである。
情報を扱うには様々な目的があり、会社収益の目的のために使うならばソフトバンクモバイルのCMは正しいのかもしれない、またインターネットでの人格を作り活躍することを目的としている人にとっては緻密に練り上げた虚像は正しい選択かもしれない、僕としてはお近づきになりたくないが。
逆に言うならば、情報を受け取る側は個々の情報が何を目的として流通されているのかと言うことを常に意識する必要があると言うことでもある。

さてアメリカのブログの8割は実名だが日本では9割が匿名との話を何処かで読んだ、その数字の真偽は未確認でありそれによるトラブルの統計も分からないが、少なくとも実名多数で成り立っている社会があるのだ。実名とまで行かなくともせめて情報発信の際の署名には責任を持ちたい。一人の人間がインターネットにおいて発信する言葉もしくは文章、もっと言えばメールや電話などの私信も含めてすべては蓄積され整理されうる物だ、加えてインターネットは通常のお付き合いと比べて相手の実像を把握しにくい分見えている情報に人物像はすべて依存するものだ。ローカルな発言でもメールにおいても誰に見られても恥ずかしくない内容でもって発言していきたいと僕は考えている。