教員免許

京都市ではすでに教員免許を持たない人も教師として採用を始めているとか。
教職課程を取る友人を見て「そんなに責任が重い仕事をよく選ぼうとするなぁ」と言うのが正直なところでした。
それがなぜか成り行きでボーイスカウトの指導者をさせていただくようになった、今はすでにやめていますが。
ボーイスカウトの指導者になるには該当の部門(対象年齢)ごとに五日ほど泊まり込みで研修を受けなければならなかった(今は分かりません)
ボーイスカウトは屋外を教場として各種技能をゲームなどで競いながら青少年を育成するものです、従って指導する技能と教育理論・実践をそうした研修を通じて学びます。
実際の所そうした技能や知識は一朝一夕で習得できるものではないのだが元々知識が無い人でも子供に指導することで予想外に早くエキスパートになっていき、先ずは数日の研修でプログラムの立案から実践まで可能になります。
ですが誰もが良い指導者になるとは限らないし、どれだけ年数を重ねても指導者社会で立場が上がっても、相変わらず子供を支配するだけの理解に苦しむ指導者のままの人たちも何人か知っています。
そこに足りない何かは研修でも 多分長い教職課程の末の教員免許の中にもきっと無いのでしょう。
「人間力」と言ってしまうと分かったような気になってしまいますが、そこに求められるものはあまりにも多く深く、一度の免許取得ですべて認められるほどのものではないと僕は考えます。
仕組みとしてどうしたらいいのかと考えると途方に暮れますが、それこそ人間力がある人物が一人イニシアチブを取ることで変わりうる事でもあります。