[もろもろの思索]瑞雲茶会への感謝を記す
奇跡的なご縁が重なりまして、安来節の第一人者青山氏からのご紹介から
和の心にて候:瑞雲茶会に行って参りました。
この「和の心にて候」はそのタイトルをテーマに

  • 子どもたちの日

  • 熱海瑞雲茶会

  • 能楽堂ライブ

と三日間にわたり開催されたイベントです。

私はその内の瑞雲茶会のみ体験できました。
これは、お茶の経験が無い人も参加させていただける本格的な茶会で
しかも、そこで用いられる道具も第一級の物ばかりです。
そこでの濃茶席のこと
作法をご存じの方々が遠慮から譲り合っているとはつゆ知らず
不作法物の私が正客に手を挙げてしまいました。

後陽成天皇の筆を前にして、
目の前の炉ではふくよかな釜から湯の松風が鳴り、その下には炭が赤々と燃えている
脇には圧倒されるほどの存在感がある水入れがある
そこへ、見るからに端正な道具と共に迫力の茶碗「舟守」が運ばれてきた
正客の席でそれらの道具を拝見しているだけで
訳も分からずこみ上げる物がある

美しいお作法で、このような不調法物に結構な濃茶を呈してくださる
その一点で恐縮し緊張してしまい
ほんの一口で茶碗をおいてしまった
それが唯一の心残りとなった。

お茶を頂く時にはもちろん「舟守」の優美さを堪能させて頂いたが
清めた後に改めて拝見すると
ひずんだ楕円を縦にみれば、その中に水鳥が五羽描かれている
ひずんだ楕円のフォルムに水鳥
脇には牛車の車輪とススキ
本物は理屈ではなく心に響いた

考えてみれば、信長・秀吉が茶人に席をしつらえて茶を喫していたのは
こういうことなのだろう
茶席においては師となる利休を前にして
味わったであろう茶席という物がなんだったのか分かった気がする
現代においてなんの心得もない凡人が
このような席に座らせていただけたことに
心から感謝したい。

その濃茶席にて亭主としてもてなしてくださった
太田新之介氏が舟守をさして「昔は茶席毎に道具をしつらえたためこうした豪快な作をよういできた」
とおっしゃっていた。
陶器は特にその制作過程で偶然によるある種の「奇跡」が形になる物
空想するに、茶席に向けて陶工が茶碗を作るにあたり
思わぬひずんだ手びねりができた
そこに池の景色を見立てて車輪と水辺の草と水鳥を黒で描き
灰をかけて焼き上げた
その景色を見立てた利休がそれに合わせた茶席を設けた
その灰色の肌に水の色を見る
お茶席とはそうした
真心と奇跡と邂逅の席なのだろうと感じ入ったのでした。

道具拝見席には
座敷に毛氈を引いただけのその上に
驚くほどの名品が無造作においてある
そこには青山知架夫さんが豪快な笑顔と共に袴で向かえてくださった。
陶器の奇跡の価値もさることながら
それをしつらえる真心を語られる
そのお話と共に眺める名品の数々に
再び胸が熱くなるのでした。
これは、写真では伝わらない
現物を前にするからこそ響いてくる
生まれる前の意識できない記憶に響いてくる
そう思えた。

そしてもう一つ
日本においての伝統芸能はいかに忠実に伝わった物を守るかにあるのだという
そうした中に驚くほど現代的な作があるのを目にするにつけ
今に見る新しい試み新しい作などは
長い歴史の中にとうにあった、その上でなお
失っている物があるのだと

しかし、その一方で
記憶にも記録にも残っていない
感性の記憶は確かに呼応していることに
不思議な幸福感もあるのだった。

まとめきれなくなったので
ここいらにて…
草々

真心によって奇跡を寄せ邂逅を楽しむ