ツイッターは日本人に次の一歩を進めさせたのかもしれない

 なぜかツイッターでは、あれだけ議論されてきたインターネットの匿名性を捨て、実名で活動する人が増えています。 そして、一番ネットに慎重であろう政治家をはじめ芸能人やジャーナリストも次々と参入してきて、多くの場合いわゆる普通の人と普通に会話を交わしています。 つまり人々はコンピュータの上で生身で行動し始めたのです。

 もともと日本人は欧米と比べて個人情報にナーバスでした。 なかばインターネットの代表のように言われてきた2ちゃんねるは、匿名が原動力となって自由な発言(ときに行き過ぎたりデマが横行したりしましたが)が活発に交わされて、匿名であることのメリットが語られてきました。 日本人は個人で行動するのが苦手で…云々と比較的悪く言われてきましたが、古来「言上げせぬ国」とも言うように、善行もあえて名乗らないような美意識も根底にあったんだと思われます。

 2ちゃんねるからの発信が映画になったり、携帯電話で書き込まれた小説が出版されたりして、ネット発の文化が少しずつ実生活に現れ始めたころにツイッターは紹介されました。 実を言えばツイッターが紹介され始めたころ、僕はこのサービスの可能性を過小評価してしまいました。 そのころすでに携帯電話サイトではミニブログサービスが始まっており、学生は日に何十通ものメールをやり取りし、ブログで有名になった中川祥子氏のブログは自身の日常を短いエントリーで頻発していて、ツイッターもその延長線上に思えたのです。

 ツイッターは「今何をしている」と問いかけます。 ポストできる文字数は140文字で一目で意味が伝わる長さです。 基本的に自身で選んだ人のポストがひとつのページにすべて時系列で表示されます、特定の人に向けたポストも相手の名前付で同列に表示されます(プライベートなメール的な機能もありますが) 言い換えれば自分が関心を持った人達の「今」が一目で伝わる形で示したのです。 これに加えて、初期からAPIと呼ばれる仕組みで、パソコンで見る既存の画面にとらわれず、携帯電話でも利用しやすくなりました、文字でのポストに付随して他サイトのアドレスや写真を、最近では動画なども参照できます。 

 そんな中、アメリカのオバマ大統領がまだ候補者のうちにツイッターを使って支持者を増やしていると報道されました、それに続いて各種団体もこのサービスを利用し始めました。 その現実的な利用例はツイッター自体の信頼度を増していきました。 同時にユーザーが自然発生的に取り決めたルールで、お互いのポストを紹介したり第三者にも見える形で会話を交わしたりしました。 つまり2ちゃんねるに有ったような集合知が比較的信頼される、言葉どうりにソーシャルな場所で展開されるようになったのです。

 また、これらのポストはほっておくとどんどんと過去のポストに埋没していきます。 しかしながら共感を得たポストはユーザー相互の引用に載って次々と再発見されていくので、価値があると思われたポストは発信者の名前とともに広がりやすい構造を持っています。

 インターネットが実生活でなじみはじめ、伝わりやすくて比較的信頼できるプラットフォームができ、そこでは個人の発信が評価されやすいし、著名人や企業などの団体は架空ではない名前で活動している。 こうした環境で日本のユーザーも自然に実名か、もしくはインターネットでの名前でもそれを大切にした活動を次々と始めました。 企業によっては全社員にツイッター利用を求めたり、求職者にツイッターの利用を問うたりしているところがあるようです。

 実名やそれに準じる固有の名前で活動を始めると、一人の人間としての発信が求められます。 そうした状態で無責任な発言や責任が持てないほど攻撃的な内容を発信すると、相手にされなかったりその場で否定されたり、時には現実的な危険さえ派生します。
匿名や団体での行動を好む日本人は、ここで個人として自立を求められるようになるのです。
いまのところあまり目立ちませんがこれは大きな一歩です。

今僕は民主党小沢幹事長の秘書3人が起訴された問題に注目しています。 ツイッターには実力があって主要メディアにも露出があるジャーナリストがたくさんいらっしゃって、惜しげもなくこの件を含めて情報を提供してくれています。 新聞やテレビが報道しない情報、それも情報通が知っていれば良いような内容ではなく本来ならば公平に報道されなければならないような、本来なら誰もが知るべき内容がツイッターをはじめインターネットの中だけで語られています。 そうした情報を目にして冷静に考えると、大手メディアが報道する内容や世論調査はあまりにもゆがんで見えてしまいます。

 個人として自立して考えて行動できる環境がここにあります。 実名でなくてもいいのです、インターネットにも居場所を定めて責任をもてる名前で、できるだけ多くの人がこの一歩を踏み出してくださることを願っています。