日常的コミュニケーション

留学している友達が、自分の居場所を作るのに苦労しているようだ。
居場所というのはいすでも寝床でもなく、人間関係なんだと思う。なんとはない居心地の悪さを感じている様子の一方で、自分が関心を持てない相手に話しかけるのは苦痛なのだそうだ。
人間関係を作っていく、あるいはコミュニケーションをとっていく練習は家庭から始まると聞いたことがある。
確かに、切り離される心配がない親子関係、兄弟関係の中で試行錯誤を繰り返して、人との良い関係を作ることで居心地のいい自分の場所を作っていく、と同時に人を思いやることを覚えていくのだろう。子供は家庭から、そしてそれを応用して学校社会から、人から得る優しさを渇望し望むだけでは何も得られないことを学んでいって居るように思える。

ところで、少し違うかもしれないけれど
このところの小泉さんの失言、
「自衛隊が居るから非戦闘地域
「自衛隊に撤退しろということはアメリカにも撤退しろということか」
などを聞いていると、どんなに思い上がっているかがよく分かる。
自分の中で組み立てた論理が思いこみになってしまい、そのまま論理の飛躍にも気づかずに口に出してしまっている。
きっとコミュニケーションをとろう、理解してもらおうなんて気持ちは毛頭無いのだろう。