人前でアガってしまうのは

先日ちょっとすごい人と会ってきました、久しぶりに人に怯んでしまった
やけに大きく見えたのはその現れかもしれませんが、いわゆる「オーラが有る」と感じたのはその人の実際なのだと思います。

人に気後れするのは相手を重視して自身を何とか理解して欲しいという意識があるからです。
これに限らず何かに思い悩んでストレスを感じてしまう状態というのは、何らかの意図や目的、結果のために行動を自身に強要せざるを得ない状態であるにも関わらず、その前提と成る条件に不明な要素がある場合が多いです。そんな時人は挙動不審になります。
人前でアガってしまうのは、人からの評価を得たいにも関わらずそのためのツボが見つからないとか評価自体をフィードバックしにくい事が原因だったりします。
仕事がなかなかはかどらないとか悩みを解決出来ないとかの場合は、決断を出すために必要な条件の中に明確にできない要素が残ってしまっている場合が多いのです。
例えて言えば変数が3つの連立方程式なのに条件式が2つしか無い状態と言えばよいでしょうか。条件が足りないのだから明示的な結論は見いだせないのは当たり前なのですが、多くの場合は自分にどうしようもない条件がある事もわからなくなってしまったり、場合によっては自分がどんな結果を願っているのかさえわからなくなってしまっていることがあります。
出口のない檻の中で右へ左へと繰り返す虎のようになってしまうんです。
(追記:この件なにか違和感があり、後で考えていて気がつきました。今回は限られた貴重な時間内で最大限懸案を解消しようと、進行役という自負で「目的」を持っていたのに対して、一番の主眼が何なのかが不明という不確定要素が焦りに成っていたのだと思われます。これほどに自身の心は見通すのが難しいと言うことでしょうか)

自身がどんな意図を持っているのか、それを決める条件の何が不足しているのかを特定すれば混乱は収まります。自分ではどうしても特定出来ない条件がある場合は、悩むのをやめてしまうか条件を仮定で固定してしまうと、決定出来ない無限ループから抜けることが出来ます。
人の心の内で自分がどう評価されているのか、本当のところはけしてわかりません。
人前であがらないためには「聴衆をかぼちゃだと思え」というのはその条件を無い事にすること、相手は自分に好意をいだいてくれていると思い込むのは条件を固定することになります。

と、先日の後悔に対する自分の覚書でした。