すでに人は移行しているのかもしれない

最近インターネットをツールとして人の心が出てきているようでなんかいいなと思う。
IT企業家の第3世代としてカンブリア宮殿に紹介されたmixiとはてなの社長は建前ではなくハートで勝負している事が伝わってくる。思えばブログで有名になって活躍している真鍋かおりも知性はもちろんだがそこに含まれるハートを読む人は感じていたからなのだと思う。また、ネットを含めコンピュータの世界ではすでに知的財産をオープンに共有する事が限りなく現実に近い理想になっている。
そのカンブリア宮殿で「娘がブログで知り合った恋人を結婚相手として連れてきたのだけれども…」という相談を半ば冗談っぽく紹介すると、はてなの近藤さんは「それはオススメです、実際はてなでも社員選定の際希望者がブログを持っていればそれをとても重要視する」と言っていた。その質問を見ていた僕は「全面的には肯定できない、ネットでは誰でもがいい人なのだから」密かにそう考えていた。しかし時代はすでに変わっているんだ。
以前のネットは匿名が常識でプライベートな記述をする時にはネット上の別人になっていた。
SNSがブログが一般的となり一方で気取り無い(荒れた)歯に衣着せない表現を一種の文化にしてしている巨大掲示板からも文化的派生がいくつも出てきた今は「個人のインターネット」=ごまかし・匿名では無くなっているんだ。
慎重に個人を守りながら率直な表現と知を共有するピュアさがすでに空気のようにある。

しかし、年齢に関係なくそこには入って来たく無い人もいる、それはとても問題だと思える。
上に書いたような感覚を持っている人から見ると、それを理解しない人とは価値観に於いて決定的な違いがあると感じるしその点を言葉で表現しようとしてもどうしようもないと言う経験を持っている。
梅田氏の「ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)」が強く受け入れられているのは、その伝えて欲しい部分をわかりやすく纏めてくれているからなのだろう。
その決定的な感覚の違いは共存さえ難しいと感じるほどで、正直なところこちらの人間はまだこちらにいない方と話を合わせているのが実情なのではないかと思う。ドラキュラになってしまったこちら側の僕たちはまだ来ていない人たちに「恐れずにこちらに出てきて欲しい」そう願うのだ。