なぜと問うな

「何故」と口にする人は何も得られない。
それは、その時点では不可能な問いか、さもなくば端から知るつもりも無く発せられた問いだから。
だとするなら、問いに答えるというのは、なんて空しい事だろうか。
子供の場合は例外でも、夫婦や恋人間では同じ
学ぶ場では例外でも、学ぶ意思がない場合も同じ

関係ないけれど国会も質問と言う形で進められる。
なんと言う不快なアイロニーか。